和紙と民藝の博物館「安部榮四郎記念館」
私達の身近にあって普段何気なく使っている紙ですが、その昔は手作業により1枚1枚作り出されていました。
日本の伝統的な技術によって生み出される和紙には“紙”という道具としての側面がありながら、その独特な風合いによって芸術品や工芸品のようにも見えます。
今回はそんな和紙にまつわるスポットである、島根県松江市の「安部榮四郎記念館」をご紹介いたします。
「民藝(みんげい)」
安部榮四郎記念館のことをお伝えする前に、まずは「民藝」に触れておかねばなりません。
民藝とは、職人の手仕事によって作られる、健全で実用的な美を備えた「日用品」を指します。
美は生活の中にあるとした「日用品の美」に目覚め、大正から昭和にかけて民藝を広めようとしたのは柳宗悦(やなぎむねよし)という人物です。
宗悦は大正デモクラシーといった自由主義に向かっていた当時の空気を背景に、文学の道を歩んだ「白樺派(しらかばは)」のメンバーであり、文学同人誌「白樺(しらかば)」にて精力的に西洋近代美術を紹介する等の活動をしていました。
そんな宗悦が「民藝」を定義し、それを広めるべく「民藝運動」の創始者となったのは意外なことがきっかけでした。
宗教哲学者でもあった宗悦は、全国を遍路して修行を重ねる遊行僧(ゆぎょうそう)と呼ばれた仏教者の一人、木喰(もくじき)が日本全国に残した木彫りの彫像である木喰仏(もくじきぶつ)を調査していました。
全国を行脚する中で、訪れた先々で目にする一見普通の食器や道具に目が向くようになります。
近代化による機械化、量産化によって消えゆきつつあった手仕事により作り出された日常の生活道具は、美術品に負けない美しさがあることを見出し、宗悦は“新しい美の価値観”を提示し、それらの特徴を待つ工芸品を「民衆的工芸(略称:民藝)」と名付け、「民藝運動」の名のもとに、山陰でも馴染み深い安来市出身の河井寛次郎らとともに探求を重ねていきました。
安部榮四郎と出雲民藝紙
安部榮四郎は、幼いころから家業の紙すきを手伝いながら技を学んでいました。
そして、21歳から所属した島根県工業試験場紙業部にて様々な紙漉き(すき)方法を試み、技術を磨き、やがて島根県下の紙漉き職人の技術指導の役割を担うこととなります。
高い技術と熱意により精力的に活動をしていた榮四郎は、松江を訪れた柳宗悦と出会い、民藝運動に参加するようになります。河井寛次郎や棟方志功ら運動参加者との交流が始まり、お互いに切磋琢磨し、刺激を受け合うことで、これまでに無かった独自の個性を発揮した数々の和紙を創り出しました。
素朴で強靭な楮紙(こうぞし)、より繊細で虫に強い三椏紙(みつまたし)、最も丈夫で耐久性がある雁皮紙(がんぴし)など、榮四郎が漉いた和紙は「出雲民藝紙」と呼ばれるようになります。
また、雁皮紙を漉く技術が高く評価された榮四郎は、昭和43年(1968)に文化庁によって重要無形文化財に認定されました。
千年後も生き続ける雁皮紙
榮四郎が永きにわたり研究を続けた雁皮紙は、独特の光沢と渋みがあり、変色せず、虫にも侵されないなどの特徴から「和紙の王」と呼ばれています。
耐久性が高く資料の保存に適しており、ユネスコ世界文化遺産である奈良の正倉院には、雁皮紙に記録された文書や情報が千年以上の時間を経てなお保管されています。
また、榮四郎はこの「正倉院宝物紙」を調査し見事に復元して漉くことに成功しています。
切磋琢磨した仲間との交流
前述の通り、民藝運動には多くの著名人が参加していました。
世界的な陶芸家で西洋と東洋の架け橋的役割を果たしたバーナード・リーチ、陶芸史に名を馳せ民藝運動を強く推進した河井寛次郎、自由奔放で大胆な荒々しい画風が特徴の棟方志功ら運動参加者は、民藝を波及させつつお互いが刺激を与え合うことで、各々の作品を昇華させていきました。
とある日の棟方志功は榮四郎宅を訪れた時、尋常ではない熱量の持ち主同士で語り合い、爆発的に創作意欲を沸かせ、居ても立っても居られず滞在を切り上げて帰っていったとか。
安部榮四郎記念館は彼の生涯にわたる和紙の探求の記録と、柳宗悦が起こした民藝運動を通じて知り合いお互いを高め合った仲間たちとの関わり合いの記憶、そして彼らの作品を展示したミュージアムとなっています。
技術の伝承
紙漉きの技術は現在、榮四郎の孫に当たる当たる安部信一郎氏が受け継いでいます。
記念館の近くにある「出雲民藝紙工房」を訪ねてみると、実際の紙漉きの様子を見学させてくれました。
工場では古くから使われているであろう機械や道具が現役で稼働しており、当時の様子がわかるようでした。
この日漉いていたのは三椏を原料とした紙、紙料液を「流し漉き」と呼ばれる技術で漉いていくのですが、厚さが均等となるように紙料のすくい加減を調整し、桁を繊細に操作するという作業姿に息を呑みます。
榮四郎氏から伝わる技術を引き継ぎ、正に体で覚えたであろうこの技法によって、原料の持ち味を存分に活かした出雲民藝紙ができ上がるのです。
いかがでしたでしょうか?
現在、私たちは紙の他にパソコンやスマートフォンといった電子機器を活用していますが、文明が未発達であった時代において紙の存在は絶大でした。
紙に言葉や文字を書くことによって、遠方の情報を知ったり伝えたりすることができたり、紙に記された記録によって今日の私たちに歴史や文化を伝えてくれるものでもあります。
榮四郎が追求した和紙は、日用品としての紙の要件を満たしながら、同時に全く違った魅力に溢れ、とっても暖かく生命力に満ちたものでした。
安部榮四郎記念館では、紙漉き体験や凧作り、うちわ作りもできる等、伝統とふれあう事もできます。
近代化によって消えつつあった手作業により漉かれた和紙の魅力と、それら民藝を保存し、世の中に広めんとした民藝運動について、その熱量をたっぷり感じられるディープスポットに是非行ってみてください。
- 住所
- 住所
- 島根県松江市八雲町東岩坂1754
- 営業時間
- 営業時間
- 9:00〜16:30
- 定休日
- 定休日
- 火曜日、年末年始
- 電話番号
- 電話番号
- 0852-54-1745
- 公式サイト
- 公式サイト
- https://izumomingeishi.com/abeeishirou/
- 駐車場
- 駐車場
- あり